石島公認会計士事務所
公認会計士・税理士
石島 慎二郎
「カスミ、またね!それに店長さんのこと、がんばってね!」
洋書を買いに来た友人が去り際に余計な一言を残していく。
イチノセはボッと顔が熱を帯びるのを感じたが、すました顔で友人を見送った。
「そんなこと言われたって、レンさんにはモトムラさんがいるし、
私は本屋の立て直しに協力しているただの……ただの協力者なんだから。」
少し寂しい気持ちになって店内に目を向けると、レンは書店奥にいっているのか、姿が見えない。
「そっか、そろそろ閉店の時間かな。」
店頭の本を店内に運び込むと、イチノセはふらりと一新した店内を歩き回ってみた。
「本当にこの短い間に本屋が変わっちゃったなぁ~すごいやレンさんは。
街の人の声にちゃんと応えてる。
……あ、この本、読みたかった本!隣のこれも。あっ、これもおもしろそう!」
イチノセは一角で足を止め、思わず見入ってしまう。そして、はたと気が付く。
「ここって、昔から私が良く本を見ていた場所……それにこの本の種類、もしかして……。」
レンは、地元の人の声を集めて、それに応える本屋にしたい、
お客さんに喜んでもらいたいと話していた。イチノセも一緒に声を集めて、一緒に集計していたので、
どのような意図をもって本を並べているのかもだいたいわかる。
「でもこの一角は……。」
イチノセは、自分に都合のいい考えだと否定しようとするが、どうしても消すことができない。
「そこはイチノセさんの特等席だから、変えていないんです。」
不意に声がかかり、イチノセがおどろいて声の方に向き直ると、
レンがぎこちない笑顔でテーブルに両肘を乗せている。
「イチノセさんは書店が厳しいときにもずっと協力してくれたから。場所も本もVIP扱いです。」
イチノセは、自分の考えが都合いいものではないことを確信し、
目じりが熱くなるのを感じた。嬉しさの反面、心がざわざわと揺らぎ、つい口走ってしまう。
「こんなことして、モトムラさんに怒られちゃうんじゃないですか?
この前だってお店の前でお手紙を渡して手をつないでいるのを見ましたよ?
ありがたいですけど無理、しないでくださいね?」
これを聞いたレンは一瞬ポカンとした表情になる。
「モトムラさん?手紙?店の前でって……ああ、本の発注書のことですか?
今イチノセさんが売りさばいてくれている本の発注書渡して、
取引成立ってことで握手してたことはありましたけど……。」
それを聞いて今度はイチノセがポカーンとした表情になる。
「えっ……あの……私てっきり……レンさんとモトムラさん、お付き合いしているのかと……
だってヤマモトさんもからかっていましたし……。」
イチノセはもう恥ずかしいのやら嬉しいのやら、わけのわからない感情に押しつぶされそうになる。
「あはは、そうだったんだ!モトムラさん綺麗な人だから、
ヤマモトさんおもしろがっちゃって。それよりごめんね、こっちも変な手紙渡しちゃって……。」
イチノセは首をぶんぶんと大きく振った。
「そうじゃないんです!そんなことないんです!本の中に出てくるような
素敵なお手紙もらって私……本当に嬉しかったんです!でもごめんなさい、
あのときに限って、学校の課題のせいで本を開くのが遅くなってしまって……。」
レンもそれを聞いて心から安堵する。迷惑だと思われたと信じ切っていたので、
勘違いと知り内心は小躍りしたい気分になった。
「そうだったんだ!てっきりスルーされているのかと思って……
迷惑じゃなかったなら良かったよ。」
「そんな迷惑だったなんて……気が付いてそのことを話しに行ったらモトムラさんがいて……
私…おバカさんですね。」
イチノセはメガネを外して涙をさっと拭い、満面の笑顔を咲かせた。
それを見たレンも、唇をきゅっと結んで一呼吸し、朗らかな笑顔でイチノセに言った。
「イチノセさん、本当にいつもありがとう。
もしよかったら、今度食事に行ってゆっくりお話してくれませんか?」
「サワムラよ、孫はきっともう大丈夫じゃ。簿記がいかに有用か、
しっかりと理解しておる。試練を乗り越え、経営者として独り立ちしようとしておる」
閉じた本の隙間から煙とともに出てきたシブサワは、レンとイチノセの方を見ながら
、腕を組み満足そうに頷きながらつぶやいた。
「サワムラよ、約束は果たしたぞ―――」
そう言って、シブサワは簿記の本に消えていった。
レンはふと書店奥に目を移す。
「レンさん、どうしたんです?」
不思議そうに見つめるイチノセに向き直るとレンは笑顔で言った。
「いや、何でもないよ。僕はたくさんの人に助けられて幸せだなって。
思えば簿記を始めてからだよな、こんなにうまくいくようになったのは。これからも簿記、がんばらなきゃ!」